パンとジュース

先日、コンビニでパンとジュースを買いました。その時の話です。

※誤解のないように申し上げますと、たまにこういう方もいらっしゃるということで、ごく一部の方の話をさせていただきます。

私は、コンビニでパン2つと冷たいジュースを1つ買いました。そのうち1つのパンを温めてもらいました。私が気になったのはその次の出来事です。その定員は

冷たいジュース

温かいパン

温めていないパン

の順に袋に入れました。私は大学生の時にローソンで約4年間バイトをしていましたが、こういう時は必ず気をつけていました。「冷たいものの横に温かいものを置かない」とういことです。これ最悪なんです。冷たいジュースは温められて美味しくなくなるし、せっかく温めてもらったパンは冷たいジュースで冷えてしまいます。

実際は多くの定員さんが、

冷たいジュース

温めていないパン

温かいパン

という順番で袋に入れてくれます。

では、前者と後者の違いは何でしょうか?私なりの答えがあります。それは、

想像力の欠如

だと思います。相手の立場に立って考えるとか以前に想像力が欠如しているんです。これを買った人がこのあとどういう風に食事をするか、自分が同じ買い物をした時にどういう風に袋に入れてくれたら助かると思うのか、想像することができません。こういう人は、自分の将来を想像することも苦手としているんではないかと思います。

では、なぜ想像力が欠如してしまっているのでしょうか?

それは、一言で言うと自己中だからです。自分さえ良ければそれでいい、この考え方が、

・自己中心的になり

・他人の意見を聞かず

・目の前の起きたことにしか反応を示さず

・都合の悪いことは先延ばしにし

・目の前の欲に負けてしまい

・周りに流されてしまう

こういう人を作り上げてしまいます。


誤解のないように申し上げますと、私は凄く腹が立っているわけでも何でもありません。こんなことでいちいち腹を立てたりはしません。ただ、想像することが苦手な人は、何も考えず生きている人は、知らず知らずのうちに社会で生きていくための力を失ってしまっているのではないかと思うわけです。

パンとジュース(冒頭のお話)

こんなことにさえ気が付かない人が、社会に出て平均的に生きていけるほど世の中は甘くありません。


反対の出来事をお話させていただきます。ちょっと感動すらしたのですが。

先日家族でポケモンセンターに買い物に行きました。うちの息子は年齢的にも色々と「〇〇したい」と言いたい放題言います。レジが凄く込み合って長い時間並んでいたため、息子を叱る回数が多かったです。そして、ようやくレジで買い物をする時に定員さんが笑顔で「お父様は〇〇がお好きなんですか?」と質問してきました。初めは、

子どもに決まってんじゃん

と思いましたが、なぜわざわざこんな質問をしてきたのかを考えました。

叱ってばかりの私に対して、また笑顔で子どもと一緒にここに来てほしいので笑顔で帰っていただきたい、そんな気持ちが伝わってきました。私のただの妄想かもしれませんが、そんな意図を感じた優しさのある笑顔でした。これを私の想像通りに意図して話しかけてくれたとすると、この定員さんはとても素晴らしく感動すら相手に与えてしまうのです。私は一人(勝手に)感動していました。

想像するためには、目の前の欲に負けない練習をすることです。他人のことを考える練習をすることです。それを我慢することによって、克服することによって、乗り越えることによって、どのようなプラスの面が自分にあるのかを考えることが大事です。他人に何かをしてあげる時は、見返りを求めないことです。見返りを気にしたらすごくちっちゃな人間になります。そして、初めは相手のことを思って何かをしてあげたことが、いつの間にか「お礼をしてくれない」、「ありがとうを言ってくれない」と相手を責めることになります。相手に何かをしてあげる時は見返りを求めないことも大事です。だから、私はポケモンセンターで買い物をした時に(勝手に)感動したのです。

パンとジュース(冒頭の話)、皆様はどう思いますか?

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